平成28年1月29日(金) 集合場所 京成海神駅
スタート京成海神駅 ゴールJR西船橋駅 フナバシ屋にて新年会
コース
① 京成海神駅と北総鉄道跡地
② 永井荷風書斎跡
③ 城門川水源地~ピーターパン
④ 蛇沼公園
⑤ 海神山 山頂 約2.0Km
⑥ 京成線ガードと総武線髄道
⑦ 海神念仏堂 約1.2km
⑧ 入日神社
⑨ 大覚寺
⑩ 龍神社 約1.1km
⑪ 西船橋駅 フナバシ屋 約1.6km 計約6.0km 約2時間
天気は小雨模様にも関わらず全員定刻に集合し、海神駅を出発。
北総鉄道跡地。 京成電鉄の作業用車両基地があり、他に何もない。
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永井荷風書斎跡はこの近辺か?
写真は間違っているかもしれません。
海神山山頂
海神念仏堂
入日神社
大覚寺
四国八十八か所巡り。参加者全員めぐりました。
龍神社
本殿に見事な彫刻が全面に彫られている。
西船橋フナバシ屋で新年宴会。
以下は「滝口さんと船橋の地名を歩く」から引用させていただきました。
大神宮の元宮・入日神社
入日神社は、昔日本武尊が海神に上陸し、村人の乞いに応じて雨乞いをした際に。海上の小舟に神鏡を発見し,これを祀った所と言われています。海神地名は神様が海から来たという意味と伝えられています。やがて神社は夏見の高台に移り、更に意富比神社移って現在の船橋大神宮となります。
海神念仏堂
江戸神田鍋町の高麗屋佐治衛門が元禄14年(1701)に亡くなった父の菩提を弔うため造営寄進したといわれています。本尊は平安末期の作という阿弥陀如来ですが、これにも不思議な因縁が伝えられています。この本尊は昔八幡山善光寺の本尊で、念仏を勤める了故房というものの夢枕に阿弥陀にゅらいが現れ小金の東漸寺に迎えに来いといったので了故房が寺を訪ねて住職に話をすると、その迎えを待っていたといわれたそうです。そこでその本尊を庵に運び供養したというのです。観音堂も高麗屋佐治衛門が建立寄進したそうです。「念仏堂縁起」によるとこの観世音菩薩は行基菩薩の作で、平将門の愛妾桔梗の前の守り本尊であったと述べています。
観音堂の前に道標があります。市川道(千葉街道)と行徳道の分岐点にあった道標です。観音堂の裏手に戊辰戦争の戦死者、福岡藩士小室弥四郎とその従卒の墓があります。
田中さんから頂いた資料です。
海神歴史散歩
① 海神の状況
H28.1.3 日経「私の履歴書」2回目 掲載 小椋 佳 シクラメンの香り 愛燦燦
1944年1月18日生 本名 神田 西海神町 神田 大地主疎開し乳母が数人いた。
② 海神駅創設 100年 (97年) 大正8年(1919)10月25日海神停車場落成式
一日 6~7人 船橋~中山 大正5年12月
大正10年船橋~千葉 大正15年 成田まで開通 明治42年7月 京成電気軌道㈱
昭和4年12月 838人
昭和60年 7000人 平成15年 4779人 定期券が45% No51/70位
跨線橋 56年4月
エレベータ設置 平成25年3月バリアフリー化 乗降客4700人
北総鉄道(昭和19年) 東武鉄道野田線 アーバンパークライン
(スカイツリー開業に合わせて改名
大正12年12月船橋~柏 栃木県鬼怒川から砕石を運んだ線路の敷石専用
昭和4年から昭和8年営業(1日16人) 昭和9年4月廃止 4年9ヶ月
船橋~海神 1.3km 国鉄に客を取られないため
国鉄船橋駅 明治27年(1894)開業 S8電化 省線電車 S45高架化
S47複々線化
東武鉄道 野田線M44年(1911)県営鉄道柏~野田 T12(1923)北総鉄道野田線
鉄道連隊敷設 船橋駅まで開通 S5(1930)大宮まで開通 S19東武鉄道に合併
③ 永井荷風 私本記載 文化勲章受賞 1952年S27年 梅原 朝永 安井と一緒
昭和21年8月~昭和23年 2年間 187回 相磯凌霜氏
短編「買出し」S22年 昭和34年1959年 4/30 79歳
④城門川 水源地と河口 飛ノ台飛谷津 東から海老川山谷澪 稲荷澪 海神澪 二俣澪
紀元前7000年 飛ノ台貝塚 縄文時代初期 飛谷津まで海水 内海 夏見潟 成立
6500年 縄文海進 ピーク
3500年 縄文海退 縄文晩期 現在より8m低い 三番瀬の南方まで陸地
船橋砂州、海神山形成
弥生時代 遺跡は市内にはない
古墳時代 古墳はないが集落遺跡はある一時海神5丁目で古墳騒ぎ 平成1年調査
山王社・善光寺・宝塚 古墳
常無川→城門川 将門伝説 桔梗の前(二号)
⑤ピーターパン 6店舗 11月15日鎌ヶ谷店 9749個/日販売 ギネス世界記録
2月4日TV東京 カンブリア宮殿 放映 社長 横手和彦 第二土曜日27日P二倍
⑥蛇沼公園 城門川 湿地帯 季節ため池
稲荷大明神 「臥龍の松」稲荷神社と弁財天 石祠
善光寺(1370年~1749年)跡地 稲荷神社(仮移設) 2本松 天摩山善光寺
江戸時代寛永年間廃寺1801年頃 松戸東漸寺
阿弥陀如来像 平安時代末期 像高73cm台座高48cm光背100cm
⑦海神山 海抜24m 砂山 北斜面 急斜面 南は緩やかな斜面
大正昭和 習志野駐屯地の将校が多く住んでいた「将軍山」
関東ローム層の上10mに砂 江戸川の砂が縄文海退で堆積した砂が吹き上げられた
宝塚遺跡 土師器4点出土
⑧京成陸橋 船橋~中山 大正5年(1916)12月100年経過
山王社の土砂を盛り上げて土手をつっくた 古墳時代の石棺、円筒埴輪、埴輪の台
山王社古墳 山王権現 里見安房守が再建 山王の桜 寛政12年(1800年)社殿喪失
⑨城門川トンネル
⑩JR隋道 塩業と古粉・貝灰の製造 5社 竹内胡粉工場
漆器の下地材料 仏像 障壁画 漆器 仏具 日本人形 玩具 カキ殻
⑪海神辻と念仏堂
明暦3年(1657年)墓石 本尊 阿弥陀如来像(70cm台座55cm)
鎌倉時代中期鎌倉仏師の作
善光寺から松戸小金東漸寺 元禄14年1701年 高麗屋佐治右衛門 神田鍋町
念仏堂 百万遍念仏大数珠
観音堂 33体の観音像安置 観世音菩薩 寄進 行基菩薩作
道標 江戸時代 市川道 行徳道
江原鋳三郎(素六)と小室弥四郎(東福岡藩)と従者彦市喜市勝平の墓
戊辰戦争 戦闘場所 江原鋳三郎(素六)東洋英和創設 麻布中学校長 貴族院議員
御代川 広有(1816~1890)総代 墓と記念碑 御代川氏矢作氏の墓が多い
海神跨線橋 S18年国道14号線 平成2年改修 新国道 千葉街道 海神辻
京葉道路 S35年一之江~船橋 S39年花輪インター
海神澪 通称ゴミ澪 特殊潜航艇製作所 ダルマ船
⑫入日神社 祭神 天照大神 大和武尊 東国遠征 同地に最初に上陸 その際賊との
戦いで海上の捨船の中の神鏡を発見し神鏡の前で兇徒を調伏の矢を放ちこの神鏡を
奉安して祭り海神とした。その時御代川氏が澪筋を案内し
矢作氏が矢を作ったので、澪川と矢刺の氏をもらいその後澪川が御代川に
矢刺が矢作になった。
船橋大神宮の最初の場所では 庚申塔宝永5年1937年 石碑山王大権現寛政6年1794年
創設景行天皇の御代とも 大和武尊を熊襲 蝦夷退治に派遣
⑬大覚院 龍王山海蔵寺大覚院 真言宗豊山派 本尊 大日如来(金剛界)像 32世堀幸男住職
明治26年行徳町仏師浅子周慶作
龍神社の別当 海上安全を祈願 創建 天正17年(1589年)
権大僧都 法印秀厳 (中興) 朱色の山門 あかもん寺
四国八十八箇所 各零場の砂が埋められている 修行大師 弘法大師
西安市青龍寺の石 昭和58年製
石造文化財 廻国塔 出羽三山供養塔 庚申塔 十九夜塔 弘法大師堂
平成15年製 客殿 平成元年 本堂 大正11年改築
大覚院東側を境に元は海神村で一村1698~1703年間に分かれた 塩田と漁業権
西海神村檀那寺 栗原八郷 栗原海神 行徳海神→葛飾村西海神(M22年)
東海神村 船橋海神 山谷海神→ 船橋町海神 (M22年)
S12年船橋市の市制施行で葛飾村船橋町合併 S15年西海神は海神東西南北1丁目
東海神は海神2~5丁目
S41年住居表示 現在の丁目に 船橋から 海神1丁目から6丁目
14号南側は海神町2丁目3丁目・海神西・海神東・海神南1丁目・南海神1・2丁目現存
門前 廻国塔 「大乗妙典六十六部日本廻国」 安永9年(1780年)建立
「百番巡札衆四十四年間施宿」万延元年(1860年)建立
百観音(西国33坂東33秩父34 44年間5000人
廻国塔 自ら書写した法華経を全国66箇所の霊場に収め記念に塔を建てる習わしの事
当初鎌倉時代には行脚僧が始めたが江戸時代には一般人も行うようになった
市内21の塔がある
⑭龍神社 西海神の鎮守 阿須波明神 阿須波の宮 海上守護の神 綿津見の神
祭神 沙掲羅竜王(しゃから)彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
明治44年の建立 行徳仏師 二代目後藤直光
左側面 胴羽目「養老の滝」左脇障子「手力男命 天の岩戸」
背面胴羽目 「司馬温公、瓶割り」
右側面 胴羽目「神功皇后に奉珠」右脇障子「八百万神 楽奏」
神功皇后(201~269) 14代仲哀天皇(192~200) 15代応神天皇(270~312)
新羅 高句麗 百済 征服 「月延石」「鎮懐石」八幡愚童訓
龍神池 湧水池 難陀龍王宮 弘化4年(1847年)建立 海上守護神
八大龍王の筆頭
「石芋物語」「片葉の葦」弘法大師加持石芋片葉葦之碑(弘化4年1847年)
万葉集20巻 「庭中の阿須波神に 小柴さし 我はいわはむ帰り来までに」
630年から130年間 4516首 大伴家持
西海神小学校 S28年4月開校 10月校舎落成 S293月安西愛子 校歌発表
4月第一回卒業式
S30年8月校舎炎上 9月葛飾小 龍神社で授業 12月校舎落成
海神念仏堂関連 高麗屋を調べていたらこんな記事がありました。(安積)
初代松本幸四郎が若い頃、江戸神田の 「高麗屋」 という商店で丁稚奉公していたことがその名の由来だそうです。 その 「高麗屋」 は、秀吉が朝鮮出兵のときに、加藤清正が朝鮮から連れ帰った人の子孫だそうです。